福柳伊三郎


福柳伊三郎

福柳伊三郎(ふくやなぎいさぶろう 本名:三浦伊三郎 1893年3月5日生)
 [大相撲力士]


 福岡県出身。出羽海部屋に入門し、1910年1月場所で前相撲から初土俵を踏んだ。1917年1月場所に新十両へ昇進後、1918年1月場所で新入幕を果たした。入幕2場所目の同年5月場所から2場所連続で鳳谷五郎を倒して金星を挙げ、以後は常に幕内上位で活躍した。非力だが右四つからの上手投げに足癖など多彩な技を奮い、勝ち味の早い派手な取り口と美貌で大正期の相撲界における花形力士だった。1923年5月場所には自己最高位の西関脇に昇進して大関最有力候補と期待されたが、この場所を2勝7敗2分で大きく負け越し、大関昇進は果たせなかった。

 以後は小結と前頭を往復していたが、1926年12月に福岡県戸畑市の巡業先で、地元の後援者だった陸軍少佐によってフグが差し入れられたため、陸軍少佐と幕下格行司・式守義松と共に食べたが、そのフグは数日来の悪天候によって新鮮なフグが入手できなかったため、知人に探してもらった古いフグだった。フグを食べた福柳は食事の後に乗った帰路の船内で激しい腹痛を起こし、「どうも変だ。(フグ中毒に)やられたかな…」と最後に言い残し、数時間後には昏睡状態に陥った。一度は民間療法(燕の巣の煮汁を口から流し込んで冷水を全身に浴びせて揉む方法)によって一旦は蘇生しかかったものの、注射を打ったのが祟ったのか手当ての甲斐なく死去した。角界には「福柳死ス」との電報が届いた。

 その席には常陸嶽理市も同席していたが、フグの肝が異常に黄色いことを不審に思って忠告し、自身は勧められたが最後まで食べなかったために難を逃れた。式守義松は直前に酒を飲んだためか治療中にフグを吐き(福柳は吐けなかった)、さらに注射を打たなかったためか一命を取り留めたが、亡くなった福柳を偲んで、翌年に式守伊三郎と改名のうえ、自らの娘にも福子、柳子と名付けている。

 1926年12月11日死去(享年33)


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