グンナー・ニルソン



グンナー・ニルソン(Gunner Nilsson 1948年11月29日生)
 [スウェーデン・レーシングドライバー]


 スコーネ県ヘルシンボリ出身。FV等に参戦し、1975年にはイギリスF3チャンピオンとなる。翌1976年の第2戦南アフリカGPより、マリオ・アンドレッティのセカンドドライバーとしてチーム・ロータスからF1デビュー。丁度チームの低迷期だったが、第4戦スペインGPにて3位に入り、初入賞で表彰台に立つ。また第11戦オーストリアGPでも3位を獲得している。しかしマシントラブルが多く、15戦9回のリタイヤを喫した。

 翌1977年もロータスから参戦する。この年、チームは元祖ウイングカーとして知られるロータス・78を開発し、全コンストラクター中最多となる5勝をマーク。このうち、ゾルダー・サーキットで行われた第7戦ベルギーGPでは、雨天の中ニルソンがニキ・ラウダに競り勝ち、初にして最後の優勝を挙げている。しかしシーズン末、ニルソンは自分の体が精巣癌に蝕まれていることを知ることになる。それでも最終戦までシーズンを戦い抜き、翌1978年に向けてアロウズと契約を結ぶ。しかし症状は悪化し、闘病生活に入ったニルソンは参戦断念を余儀なくされた。

 その後、痛み止めを拒否し、自身の資金で癌撲滅基金を創設するなど、癌撲滅キャンペーンを展開。病気の体をおしてサーキットにも現れていたが、シーズン終了直後の10月20日、ロンドンの病院で29歳で死去。ニルソンが亡くなる前月には同郷のロニー・ピーターソンがイタリアGPで事故死しており、スウェーデンは立て続けにF1ドライバーを失う悲劇となった。

 死後、ニルソンを偲ぶチャリティーレースやイベントが複数行われ、その収益金がニルソンが設立した基金に寄付された。レースファンだったジョージ・ハリスンは、自身のシングル『ファースター』の売り上げを基金に寄付し、イベントにも参加。また、ニルソンの母エリザベスは、私財全てを捧げて癌研究の発展に寄与した。

 1978年10月20日死去(享年29)


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