読みものヽ(´∀`)

(5)『母の想い出』Cの下

 母は大いにうれしく思い、再びとんでお広前に参り安武恩師に、
 「主人もこれから信心させていただくと申しますから」と、病気全快のお願いを乞い奉った。
 恩師は改めて、
 「一週間の日を切ってお願い申し上げるから」と、一体の御神米をお下げになり、「帰って主人に頂かせなさい」と、仰せになった。
 母は御神米を押し頂き、我が家にもこの尊い天地金乃親神様をお祀り申し上げたい一心から、当時、教会前でご神具類の店を奉仕してあった田中半平氏宅に立ち寄り、ちょうど金子の持ち合わせのないままに、お室(むろ)その他ご神具の価格だけでも聞いておこうと問えば、田中氏の妻リキ女が
 「お金は何時でもよろしいから、お祀りさせていただきなさい」と、新しいお室を渡された。母は感激して受け取り、お広前に引き返して、恩師のご神璽を奉斎していただき、ちょうど家を出るとき雨模様であったので、貧しきゆえに破れた雨傘しかなく持参していたが、それを片手に差し、片方にしっかりとご神璽を抱きお供をして帰宅し、床の間を清めてお祀りさせていただき、夫婦して、
 「四神金光大神様、生神金光大神様、天地金乃親神様」と、み名を唱えつつ、過ぎこし今日までのご無礼をお詫び申し上げるのであった。
 後日、母がその当時のことを、
 「我が家に、天地の親神様をお祀りできる喜びで、もったいない有難い気持ちいっぱいで、神様をお供して帰らせていただいたが、破れた傘であったのに、着物が少しも濡れずにおかげ頂いた」と物語っていた。当時の貧困さと、母の心情が偲ばれる思いがする。
 翌日から母の日参が始まった。ご結界でのみ教えを頂けば頂くほど、ただもったいない、恐れ多い気持ちであった。
 それから三日間が過ぎた。母は当時夜盲症を患っていた。夜になると、全然眼が見えなくなり、便所へ行くときも、壁を伝って手さぐりで行くほどであったのが、はっきり見えるほどにならせていただいていることに気付いた。母は嬉しさのあまり、飛んでお広前に参り、その由を心から御礼申し上げた。
 そのことを聞かれた安武恩師は、
 「矢野さん、それはあんたが自分もそんな夜盲症でありながら、自分のことは忘れて、ただ『主人を助けていただきたい』というその一心を、神様がお受けになって、お願いしないあんたの方が、先におかげを頂いたのですよ」と、仰せ下された。
 やがて、恩師日切りの一週間が来た。何の変化もなかった父が、その頃から頭部にポツリポツリと吹き出物ができだし、やがて頭一面に広がった。それが、体内の悪毒病毒のお取り払いを蒙るおかげであったのである。そして、病勢は日に日に快方に向かった。父も母に付き添われてお広前に参らせていただき、その時、初めて安武恩師にまみえ、数々のご理解を頂いて、深く感謝し、これまでの己の非を悟り、涙ながらにお詫び申し上げるのであった。
 さらに数日が過ぎ、父は日一日と体力も付かせていただいたので、今日は神様にお願い申し上げて、ずっと遅れている田耕をさせていただこうと、麦蒔前の長い病床生活で、未だ身体がふらふらするのを、父は、
 「四神金光大神様、生神金光大神様」と、心に念じながら、飼牛の手綱を取って野良へ出、母は鋤をかついで父の後に従った。
 いよいよ、鋤を牛に曳かせ、田耕しにかからせていただいた父の身体は、右によろめき左によろめき、まるでミミズが這うようであったとのことである。
 それをそばで見る母は、ただ一心に「金光様、金光様」と、冷や汗を流す思いでおすがりさせていただいた。一畝を鋤き終わった頃より身体がしゃんとなってきた。かくて、一反歩ばかりの水田を全部耕させていただくことができた。この時の夫婦の喜びは、いかばかりであったろうか。
 ただただ「ありがとうございます」と、教会の方に向かってひれ伏し、御礼申し上げたということである。
 以上が、母が初めて、わが道に御神縁を蒙らせていただき、安武恩師の厚き恩取次によって再生の喜びを得させていただいた大略であります。
 時あたかも明治三十七年冬のことでありました。
(続きへ)

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