ある時(母の晩年)義姉(フジ)が母に、「お母さん、お教会の婦人会に出席させていただくと、皆さんが、矢野さんはお母さんがしっかりした信心を頂いておられるからと言われますけれども、私は、まだお母さんから信心のいちばん大切なところを聞いておりませんが、どこがいちばん大切なところでしょうか、秘訣があったら教えてください」と、問うたことがあった。 母は、 「それはまだ言えない、私が死ぬ前に遺言に残していくから」と答えたと、私に聞かせてくれた。 更にまた、 「私はかねがね、こう思わせていただいている。この家の財産は皆、親先生の御取次によって、親神様からお預かりしたもので、我が物というものは一つも無い。それで、私が死んだ後に、もしお道のことで、全財産を無くすようなことがあっても、私は、でかした、ようやってくれたと礼を言います」と「あなたには話せるから」と付け加えて、話したことがあった。 なお、母は常々、 「私は、父さん(主人のこと)より早く死ぬようなことがあってはならないと思っている。父さんが亡くなられたら、その翌日でも良い。そうでないと父さんが不自由をされるから」と、また、 「私は、神様からお引き取りいただくときは、農家の忙しくない、人様に迷惑をかけないような時季におかげ頂くようにお願い申し上げている」とも語っていた。 母の晩年、私が親教会にお引き寄せいただき、母に会いたくなって、実家を訪れた。ちょうど母は、繭から生糸をひいていたが、非常に喜んでくれた。 暫くして暇乞いをして家を出たが、峰の原(実家から約六〇〇米)のところまで来ると、もう一度母の顔が見たくなって、引返していったこともあった。 何かしら、温かい懐かしい母であった。 昭和三十年十月二十六日、父は七十五歳をもって安らかに、 「親先生と皆さんに御礼申し上げてくれ」と言い残して、お国替えさせていただいた。 (続きへ) [?] [?] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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