小説置き場 ■□1□■

歪みの国のアリス〜女王編〜 1 (るな)

    『歪みの国のアリス』
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       〜女王編〜


耳元で声がした。
それは−−
  チェシャ猫の声だった
  雪乃の声だった
  お母さんの声だった
  叔父さんの声だった
  誰の声か分からなかった
 →[女王の声だった]

なぜか泣きそうな声だった。
その声が悲しかった。
私、あなたを泣かせている?
お願い。そんなふうに泣いたりしないで。

どこにそんな力が残っていたんだろう。
頭で考えるより先に、手が動いた。
包丁をチェシャ猫の背中から引き抜く。
不思議とそれはするりと抜けた。
私はそれをシロウサギの胸に、思い切り突き立てた。
あっさりとシロウサギの体は刃を飲み込む。

ごめんなさい。でももう−−
もう、泣かせたくないの。
「ごめん。ごめんね、シロウサギ…」
私は包丁の柄を握ったまま泣いた。
全て私が作り出したことだというのなら、
どうしてこんな結末にしかならないんだろう。
どうして私はあなたを助けてあげられないんだろう。

肩に、微かな重みを感じて頭を上げる。
そこにはシロウサギの顔があった。
血にまみれた白い手が私の肩をあやすように叩いた。

長いふたつの耳。
白いふくふくした毛におおわれた顔。
まんまるの赤い目。
雪乃の顔でも、歪んだ顔でもない
シロウサギの白い顔。
ひどく懐かしく思った。

「泣かないで。アリスは何も悪くないんだよ」
シロウサギはそう言って私の頭をなでた。
−−そう。あなたはいつもそう言ってくれた。
お母さんにぶたれて泣く私を、いつも
そう言って慰めた。
ようやく思い出せた…。
「私行けないの…一緒には行けない…」
行くわけにはいかないじゃない。
だって。

あなたが守ってくれて、私はここにいるから。

「?…」
ウサギは不思議そうに首をかしげる。
「ごめん。ごめんなさい…」
「泣かないんだよ、アリス。
ほら、いい子だからねぇ」
小さい頃と同じようにシロウサギは、
私の頭をなでた。
頭をなでてもらうのもきっとこれが最後。
私は精一杯笑ってみせる。
泣いてたら、シロウサギが心配する。

心配かけ通しでごめんなさい。
−−最期くらい、安心して。
握っていた包丁をさらに深く突き刺した。

「私、大丈夫だからね」
私がそう言うと、シロウサギは安心したように目を細めて笑った。

−−この痛みを、ナイフが肉に食い込む
この感触を、覚えておこう。
あなたの肌の白さ、赤い目も、
柔らかな声も、
この血の匂いも。
今度は全部覚えておくから。
だから私があなたの姿を失っても、
私の中からあなたが消えることはない…。

崩れ落ちたシロウサギの体が、
床に転がったチェシャ猫の体が、
ガラス細工のように粉々に砕けた。

世界が真っ白に光る。
私は瞬きもせず、光の洪水の中にいた。

やがて、破壊的な白い光が消え、
視力がゆっくりと戻る。
薄暗い濡れた解剖室。
ころりとお母さんの首が転がっている。
そのほかには何もなく、残されたのは、
ふぬけのように座り込む私だけ。
廊下で人の声がする。

戻らなきゃ…ベッドに。
うろちょろするなって…怒られちゃう…。
立ち上がろうとして、私はバランスを
崩し、そのまま、気を失った…。

−−その日から、私が不思議の国の住人を
見かけることは、無かった。

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